top of page

由緒

img_logo.png

香取金光教について

はじまり


香取金光教の教祖香取繁右衛門は文政六年(1823年)現在の香取金光教本部のある浅口市金光町の占見村香取の郷に誕生されました。

結婚後体調を崩されて弘化2年(1845年)に奥様の里に転居されましたが、家族が次々に病死するなどし金神の祟りといわれ11年の間に六度も転居しました。

ご自分も体調をさらに崩しながら熱烈な祈りをささげるなかで堅磐谷(現在の倉敷市船穂町)の金神様を祀る小野うたとの出会いなどにより神様とつながるに至りました。


そして安政4年1857年11月6日(34才)神からご神宣があり立教された。安政6年9月香取の実家に帰りご広前を作り厳しい信心を重ねられた。その当時に祈祷して作成したご神米は大願を成就するとして今も引き継がれています。難を乗り越える力を与える神様は天地の元霊であり萬生の始祖であると悟され「天地金之神」と称えお祀りしました。その後は大難解決の御利益を聞いて多くの参拝者が訪れるようになった。


金光教の教祖赤沢文治殿(幼名香取源一)とは実の兄弟で二人は同時期に立教している。立教当時は交流があり教義なども類似点が多い。
なお教祖が兄弟である宗教は、世界的に見ても例がありません。

画像1_edited.jpg
画像2.png

聖地巡り

画像3.png

​教祖様奥城(墓)

本部教会にほど近い北側香取家の墓地には、教祖様のお墓があります。「中興松井山繁則法印」と記しているのはなぜでしょう。

このお墓は周囲のお墓に比べかなり大きく作られています。あくまでも目立たないようにされているのが時代を反映しています。

信者さんたちは昔から墓石をなで体の悪いところをなでるとご利益があるとされています。また字を刻印した溝にお賽銭を入れる人が後を絶ちません。

諸願成就のおかげ坂

本部教会に上るこの坂は不思議なことがあります。

さて何でしょう。

画像4.png
画像5.jpg

堅磐谷の金神(歳徳金神社)

堅盤谷金神の始祖のおばあさんの信心からにじみ出たお陰は、自然と世の人を吸引し、堅盤谷の元金神と称して、祭日紋日の参詣者の多い時は百人に達し、渡船場の渡守を喜ばせお菓子などの家も建った。(船穂町誌)

香取金光教、金光教の両教祖ゆかりの地、奥の院ともいわれる。

なぜ「天地金之神」と言われるのでしょう。

画像6.png
bottom of page